2006年04月30日

blog に期待するアレコレ

heartbreaking.:綺麗事ばかりで疲れない?

blog や SNS 等に対する期待や目的が人さまざまなんだという話。
私がこの blog に期待する事は以前書いたとおりなのですが、人によってはアクセスアップでランキングの上位に行く事が目的であったり、アルファブロガーと呼ばれるブログ界や一部のメディア内での影響力を得ることを目的とする人も居るという事です。

「そして、funamushi2さんは・・」

ID:sennjiを罵倒してから、一部の人には funamushi2さんと呼ばれています
・・・ 中略 ・・・
suVeneさんの記事より引用
 「あいつが賛成してるから、俺は反対しよう。」とか、
 「あの人が言っているのなら正しい」というのが無意味

↑俺は、そうゆうのも、また面白いと思ってます。揉め事の発端も、嫌いなブロガーにイチャもん付けるのが目的ですよね。
heartbreaking.:綺麗事ばかりで疲れない?

前の記事で funamuhi2 さんと書いたのは、goo での id を見て書いたので「ゆがんだはしご」という HN があったのに気づきませんでした。申し訳ない。ちなみに、sennjiさんなる人はよく知らないです。
この記事を読んでなるほどなぁと思ったのは、巨人ファンに対する、アンチ巨人ファンのような、二元論的スタンス自体を面白いと思う人も居るんだなぁと言う事です。「好きだから」「気に入らないから」という理由で、全肯定・全否定を楽しむスタンスもあるのだと言う事ですね。
揉め事の発端は確かに、そのような事がキッカケになる事が多いようですが、「文化圏」なるものによく例えられる、意見の相違によって起こる事もまた事実です。異なる「文化圏」に属する人の意見が全て間違っているという訳でもないですが、その文化圏の衝突、対立を楽しむ姿勢もまた面白いでしょう。

アクセス数にも興味無いような人は、日記でも綴って、自室の本棚に仕舞っとけば良いだけの話。わざわざソレをネット上に出すのは何故か?アクセス欲しいからでしょ。イチイチ着飾ってて、疲れませんか?綺麗事は、もう止めましょうよ。
heartbreaking.:綺麗事ばかりで疲れない?

そして興味深いのは、自分が「アクセス数」や「ブログ界での影響力」を崇拝するようになると、相手もまた「アクセス数」や「ブログ界での影響力」を欲しがっているのに、それを隠しているんだ。と思い込む傾向があるということですね。確かに、一部の人は、本当はアクセスが欲しいのにそれを隠している人も居るのでしょうが、そうではない人が居る事にも気づかなくなる。何故なら、二元論だから。
「アクセス数」は当然、私も意識していますが、それが一番の目的ではない。って事です。かといって自分の目的を他人に押し付ける意味もありませんので、ゆがんだはしごさん のように、ブログ界での自分のポジションを確立する事を目的にがんばるのもありだと思います。

ブログについて考える人々は、ブログの世界の、カーストの上位に来る、尊敬されるべき人々です。ただ安穏とブログというツールを利用するだけに留まる人々とは、根幹から違います。
heartbreaking.:綺麗事ばかりで疲れない?

私としては、ブログ界の影響力をカーストとするのならば、それの権力争いなるもののほうが疲れます。安穏とブログツールを利用する人々を見下す理由もないですし。

ブログを利用する人々にも、二種類あります、ブログというコミュニケーションツールを利用するだけに留まる人と、ブログというコミュニケーションツールは、今後どうあるべきか?と常に考え続ける人です。
heartbreaking.:綺麗事ばかりで疲れない?

どうあるべきか?を考える人が偉くて、そうではなくコミュニケーションツールとして利用する人が下々だという考えも面白いですが、何の為に「どうあるべきか?」を考えているのかというのはまた、ここで言う下々の人と言われる人々も含めた「どうあるべきか?」であるということです。

うだうだと書き綴りましたが、ゆがんだはしごさん のブログに対する姿勢を強制したいなどと言う思いはありません。頑張ってブログ界の重鎮と呼ばれる人になっていただけたらと思います。

posted by suVene at 01:38 | Comment(2) | TrackBack(0) | ブログに関する このエントリーを含むはてなブックマーク 

2006年04月29日

態度変えてもイイんじゃない

heartbreaking.:態度変えてもイイじゃない

ekkenさんとのやり取りに口を挟むような形になってしまうのですが、少しばかり思ったことを書いてみようと思います。

ekken♂: ウェブ交流での目上とか目下とかってなんだろう?

この記事へのトラックバックとして、heartbreaking.:態度変えてもイイじゃないがあるのですが、少々 ekkenさんの記事から読み取ったニュアンスが違うのでその辺の話を。
俺は、相手によって態度を変える事は、そんなに悪い事だとは思わないです。むしろ、態度を変えてあげた方が、好き嫌いが明確に伝わって好感持てます。
heartbreaking.:態度変えてもイイじゃない

私も、態度が変わるのは当然だと思います。しかしそれは、交流の深い人間か、浅い人間かや、礼儀正しい文章や、尊敬できるような意見を言っているか、何を言ってるか訳ワカランなのかという事で変わります。相手の中身と自分との関係で変わるわけですね。

そして、funamushi2さんは ekkenさんを尊敬しているようですが、その理由は「年上だから」とか「影響力が大きいから」という理由で判断して訳ではないのではないでしょうか。もちろん、影響力が大きいという事は、それだけ記事が多くの人に目に触れやすいという事ではあるので、インパクトが強いのは否定できません。しかし、影響力が大きい人を必ずしも好きになるかというと、そうではないと思います。

良いじゃないですか、みんな対等で。出される個々の意見を「目上の人が言ったから」とか「自分よりも地位の低い人が言ったから」でその価値を決める必要はないですし、そうした価値観を生みやすい環境を普段から作るのはイクナイ!
ekken♂: ウェブ交流での目上とか目下とかってなんだろう?

この対等という意味は、影響力や肩書きにとらわれず、「何を言っているのか」を純粋に判断すればよいと言っているのだと受け取りました。故に
俺に影響力があるからといって、必ずしも有益な情報を発信し続けなければ成らないわけでも無いのだよ。そこんとこ解ってね。って言いたいのかな。つまり、平等だよ?と歩み寄りながらも、その実、今後もコメントレスせずに傲慢に振る舞い続ける目論見を、あやふやにしたまま、己の存在を肥大化させる、虎視眈々と上位を狙う狡猾さが見え隠れしているように思える。
heartbreaking.:態度変えてもイイじゃない

前半の「有益な情報を発信し続けなければならない」というのは、もちろんそんな義務はないし対等で平等なのだから、おかしいと感じたりすればどんどんツッコミを入れてくれと言ってるように見えるのです。ekkenさんが、己の存在を肥大化させようとしているのではなく、その周りが影響力を恐れて意見とは別のところで、信望するのも反対するのも面白くないと言っているのではないでしょうか。

「あいつが賛成してるから、俺は反対しよう。」とか、「あの人が言っているのなら正しい」というのが無意味なように。
posted by suVene at 00:35 | Comment(0) | TrackBack(1) | 議論系 このエントリーを含むはてなブックマーク 

2006年04月27日

オフ会に関する恐怖

飲みに行くのには吝かではないけれど

オフ会についての記事ですね。私も基本的にはオフ会が嫌いです。何故かと言うと、数年前、初めてあるチャットのオフ会に参加した時に集まってきた人々がなんと言うか「リュック背負ってそうな人達」だったんですね。
いや、別にリュック背負ってるのが悪い訳ではないですけど、個人的にはあまり合わない人種でした。そして困るのは、チャットではしゃべった事がなかったのに、その後チャットで会うと「これまで以上に親しくなったような感じ」で接してくるわけです。
気持ち悪いですねー。
僕は「オフ会」というのが大嫌いでですね。それはオフ会という言葉に対する嫌悪なのだろうけど、そこから醸し出される「集まった人はみんな友達!」みたいな強制フレンドリー感が限りなく嫌いだ。
飲みに行くのには吝かではないけれど

このオフ会であった雰囲気がそのまま次のチャットに持ち越されるのです。恐ろしいですねー。

という訳で、今でもたまにオフ会に行くわけですが、本当に信頼できそうな少人数のオフ会には参加しますが、馴れ合い的な雰囲気が出そうなオフ会は避けたい訳です。
いや、特に誘われたりしないんですけどね。

ビジネスや、何かの興味のある事についての意見交換が主流の会合とかならば別なんですけど。


追記
2006年04月27日 maname 誘って欲しいのかな?

ちょっと誇張した書き方になってしまい、含みを持たせたように見えちゃったのかもしれません。そういうつもりはあまりなかったです。

2006年04月27日 Zothique 本当に嫌いならば絶対に行かないと思うのだが、違うのかな

一番最初に行った時は、嫌いじゃなくて色々期待してたんですけど、期待が大きすぎたという事ですね。「本当に信頼できそうな少人数のオフ会」は好きです。この文章では「オフ会が全て嫌いだ」という意味に見えてしまいますね。
posted by suVene at 22:24 | Comment(2) | TrackBack(1) | Life系 このエントリーを含むはてなブックマーク 

デザイン⇔プログラミング

プログラミング≒デザイン

さて。勢いだけでいろんな記事について書いてみたいと思う。
そうなんだよ、プログラミングはデザインすることなんだよ。誰かの決めた訳のわからない仕様をプログラミング言語に書き直すことではないんだよ、断じて。
プログラミング≒デザイン

そのとおりです。
一昔前のウォーターフォール型開発におけるプログラムとは、プログラミングではなくコーディング。コードを書く人!なんですね。だから、コーダーとか呼ばれて、単純作業の分類になっていたわけです。

しかし、オブジェクト指向が到来しアジャイル的開発が少しばかり浸透してきた今では、設計とプログラムの境目が曖昧になってきているわけです。だからきちんとモデリング、及び論理的思考ができない人はプログラムも汚くなりやすいと。
まぁ、優秀な人は昔から優秀なのは変わりないですけど。

個人的には、最近はプログラムオンリーの仕事をする事はなく、仮にウォーターフォールでも設計段階から携われる事が多くなってきたので、デザインレベルから口を挟む機会が多くなってきて、理不尽な要求を呑まねばならない事も少なくなりました。

プログラミングはデザインです!
posted by suVene at 21:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | Programing系 このエントリーを含むはてなブックマーク 

苦労すれば報われる?

「苦労すれば報われる」って言葉があります。

この考え自体は「不屈の精神」という意味で、自分が目的に向かって頑張る時の合言葉として言い聞かせているのであれば良いのではないかと思いますが、大抵これを言う人って相手に強要しようとする精神論者だったりする訳であります。もし上司がこれだと恐ろしいです。逆にいえば「報われなかった人は苦労してないのか?」って事です。

”精神論リーダー”の虚構

ここの記事は面白かったです。
タイトルとして、「自分を客観的に見られない人ほど好む」「変化と結果を求められず、社員を大事にできないリーダー」「他人に押しつける精神論はない」とありまして、まさにそんな上司の態度について言及しています。ただ「宗教のように、自分の精神論に合わない現実を無視してしまうからです」と、カルトに認定されるような宗教を宗教の全てだと断定するかのような発言は気になりますが、それはそれってことで。

最近 mixi で出会った人に教わった言葉として「効用価値説 」なるものと「労働価値説」なるものがあります。意味は読んで時の如しです。そして、働けば働いた時間(努力した時間とコスト)により価値を見出す労働価値説主義が、精神論者になりやすいのではないかと思います。

「努力には自虐が不可欠」というような信念を持っている人もいて、そこから来るすれちがいもあると思う。
言葉の使用法の問題にもなるけど、「自虐を含まない努力は努力と呼ばない」みたいな感じ。だから、見えててもそれを「努力」と呼ぶのを拒否する人がいるみたい。

「もっと努力しろ」とか言われた時に、その言葉の中の自虐成分が何パーセントくらいかを判別できると、もっとスムーズにコミュニケーションができる(そして、価値観の断絶が露になる)のではないだろうか。
■ 努力の中の自虐成分
中には自分と同じだけ苦労(目的を達するためにかけた時間や労力)を相手に強いる人間もいるわけで、楽して(るように見える)人は努力とは認めないという。この価値観の違いを認識したとしても、コミュニケーションを図るのは難しそうです。(外見上合わせるのは簡単かもしれませんけど)
posted by suVene at 18:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | Life系 このエントリーを含むはてなブックマーク 

不測の事態に備えるという事

「もうこれで大丈夫」ではまだ不十分

不測の事態に備えるというのは仕事だけでなく物事を進める上でとても重要ですが、それに囚われて不安になってしまったり頭がいっぱいになってしまったりしては意味がありません。
テレビゲームやファッション衣料など、商品価格が短期に大きく変動する商品の仕入れは難しい。特に発売数ヶ月前に新製品の発注締め切りがある場合、予測より売れすぎると品切れ、売れないとデッドストックになる。仕入れ担当者に、どういう基準で仕入れるのかを尋ねると、ちょうどいい数をよんで発注するという。「えのさんのeの素」
良さげな回答だが、的をはずしている。

品揃えを優先するなら、多い目に発注し、残った場合の処分案を事前に検討する。
利益率を優先する場合、足りないめで発注し、品切れした場合の商品確保の方法を研究しておく。

ちょうどいい数とは方針がないことを語っている。

これを読んで思いついたのが「自分を詰問攻めにしてみる」という奇策。
一通りの準備を終えた時に、

 「もうこれで大丈夫だろうか?」

と自問するのではなく

 「よもや自分は『もうこれで大丈夫』などと思っていないだろうか?」

と詰問するのです。この詰問に対して、やすやすと「イエス」と答えられてしまうのであれば、準備不足でしょう。「ノー」であれば、「ノー」と答えるより先に「こーなった場合は、あーする」「あーなった場合は、こーする」のように、想定されうるあらゆるパターンに対する対策を考えることで頭がいっぱいになっているはずです。
「もうこれで大丈夫」ではまだ不十分
奇策と言うほど奇策でもなく、リスクをシミュレーションする事はスタンダードだとは思いますが、語尾を取り上げて批判したい訳ではなく“奇策”というほど忘れやすい。もしくは満足してしまいやすいという事でしょう。

ここで「あぁ、その通りだ」とこれを実践していつまでも「自分に詰問」するのはどうでしょうか。
訪れるリスクに対する対応で頭がいっぱいになっている人間を周りは安心して見ていられません。
「考え抜く」という言葉がありますが、「考え抜こう」と思ってもなかなか考え抜けないものです。なぜなら、具体的に何をどうしたら「考え抜いた」ことになるのかがよくわからないからです。

代わりに「頭の中を対策だらけにしよう」というゴールであれば、とりあえずやるべきことは対策を考えることになるわけで、迷わず身体を動かすことができそうです。
「もうこれで大丈夫」ではまだ不十分
「対策だらけ」であたかも有能そうに見えますが、同時にその対策を考慮する為のメリット・デメリットも考えなければなりません。

例えば先に引用しました対策を考えますと

品揃えを優先するなら、多い目に発注し、残った場合の処分案を事前に検討する。
利益率を優先する場合、足りないめで発注し、品切れした場合の商品確保の方法を研究しておく。

では、これで十分か?という問いに対して「ノー」と考える訳ですから他にも考えなければなりません。
「多めに発注したつもりが、まだ足りない場合に備えて商品確保の道を検討しておく。」「運搬中のトラックが事故を起こした時の為に緊急の商品仕入先を考慮しておく」「いざというときの為に販売店の在庫移動をスムーズに行う体制をとっておく」etc.

細かい事を言い出せばキリが無いですが、結局その場に応じて対応策を切り捨てたほうがよい場合もあるわけです。何処まで考えれば十分なのか?というのは、コストや影響を受けるであろうリスクや優先順位によって判断する訳であり、それを根拠とすべきでしょう。

> 「もうこれで大丈夫」と安心している自分を見つけたら、まだまだ準備の余地ありありです

準備の余地はあっても、コストに見合う準備なのか判断し、必要なければその準備はしなくてよいのです。
もちろん、考えるのは小コストでかなりのパターンを考えることができるので、やっておくに越した事はないですが、最悪「今準備や対策している事がだめになれば、それらをすべて破棄して、次の為の準備をする」事も必要になる場合もあります。


とまぁ、考えすぎはよくないという事を書いてきましたが
一つの「成功」に固執する為に考え抜くのはどうだろうか?
という疑問であり、その固執している「成功」があくまで「利益を生み出す事」に対する「手段」なのであれば、より長い目で「考えつづける事」は必要なのかもしれませんね。

posted by suVene at 16:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | Life系 このエントリーを含むはてなブックマーク 

信頼を得るために必要なもの

実名と匿名とコミュニケーションと信頼と。
ekken♂:自覚のない荒らしにとって「黒木ルール」は全く非力です

議論をする上で重要だと思う事は「相手の意見を聞く意思があるのか」という事と、「信頼足りえる人物かを判定できる」事でしょう。
ではその判断は何処で行うのかというと、匿名禁止すなわち履歴で記したように、同一が保証される名称の中で「何を発言してきたか」という履歴です。
理想としては「誰が発言しているのか」ではなく、「何を発言しているのか」によって進めて行くのがよろしいのではないのかと思います。
しかし、理想はあくまでも理想であり、コメント欄の比較的短い文脈で指摘事項を判断するのも難しく、ましてやハテブのコメント欄では短すぎます。(考えるキッカケとしては有効だと思いますが、それ以上は望めないという事です)

「相手の意見への疑問や批判」のみを観点に置くと、コメント欄での匿名でのやりとりも十分に機能する事はあると思いますが、自分の意見を主張を多くの人に納得してもらったり検証を得ることは難しいと思われます。何故なら「TrackBackならば自分の blog に自分の言いたい事が集約されるが、コメントは多数の blog に分散する」からです。

以下のような意見もそれが如実に表れているのではないかと思います。
だいたい、ちょっと批判されたからって実名だ匿名だ言うのってなんかちっちゃくね?いつも読んでいるブログの人がコメントで批判を受けて、匿名だから無視とか言い出したら、ちょっと!ちょっとちょっと〜!ってザ・たっちばりのツッコミ入れちゃいますよ。もちろんその時の状況にもよるけれど、基本的に中立で自分が正しいと思っていることを私は主張したいので、すべての意見に耳を傾けるべきとか言っちゃいそう。相手が得体も知れないと会話できないなんて、それなんて肩書き社会?とかなっちゃいますよ。「え〜い、 静まれ、静まれ〜い、ここにおはすお方をどなたと心得る。さきの副将軍、水戸光圀侯に あらせられるぞ。皆の者ぉ、図が高い!!控え〜、ひかえおろう!!」とかいう時代はもう終わりですよー?
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以前も書いたけど、重要なことは「誰が書いたか」ではなく「何を書いたか」だと思ってる。相手が誰なのかは書いたことに対する付加情報でしかないし、そうとでも割り切っておかないと情報に騙されちゃうからね。
実名と匿名とコミュニケーションと信頼と。
この意見は私にとっても確かに理想であり、「何を発言しているのか」に重点を置く考えです。しかしながら、理想はやはり理想で以下のようにも書かれています
そう考えると、実名か匿名かの前に考えることがあるよね。信頼に足る人かどうか、それがすべてだと思う。こう書いちゃうと、ululunさんの言っていたことに戻っちゃうんだけどね。結局は、実名・匿名論なんて信頼に足る人かどうかの判断基準のひとつにしか過ぎないってこと。
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私にとって、ネット上における実名(=信頼に足る相手)って意外とアバウト。先述した通り、本名知らなくてもサイト知ってれば十分に信頼するし、どんなに有名なサイト持ってても自分が知らないサイトの人だったら信頼とまではいかないだろうし。
実名と匿名とコミュニケーションと信頼と。
要するに、「「誰が書いたか」ではなく「何を書いたか」」と共に、「信頼に足る相手なのか」という要素が必要になってくる訳です。
繰り返しますが、やはりネット上で「信頼」を得る為に必要なのは、「実名ではなく履歴」なのだという事です。「「誰が書いたか」ではなく「何を書いたか」」を言い換えるならば
「何を書きつづけて来た誰なのか」
を示すのが一番早いという事でしょう。
最後に
匿名側である私としては、受け手より「ネット上で批判する際に、相手が自分を認知してくれないと思われる場合、どうしたら自分の意見を相手に受け入れてもらえ、議論することができるだろうか。」という議題こそ考えるべきだと思う。
実名と匿名とコミュニケーションと信頼と。
とありますが、もっともだと思います。相手を強制的に変える事はできませんが、自分自身が手段を考える事は可能です。その為の積み重ねとして、このようにこの記事を書いてみる訳です。
これが匿名禁止すなわち履歴で記せなかった
・ 議論における、ローカルルールの適応範囲について
の一部でもあります。
勘違いされやすい所なのですが、普段から「アレゲなローカルルールなんか守る必要は無い」と言う僕が、こと「黒木ルール」を連呼するのはおかしい、という意見がありますが、黒木ルールはコメンテーターに守ってもらわなくても「ルールとして成立」するのです。

「匿名での批判は禁ずる」という内容からか、コメンテーターに求められるだけのルールと思われがちですが、僕は「黒木ルール」は、「このルールを持ち出すサイト主の側が守るもの」であると思っています。

現実的に匿名者による書き込みを制御できない以上、このルールに同意されない人が守るはずもありません。

つまりいくら黒木ルールを持ち出して「匿名の発言はやめろ」と言い出したところで、嫌がらせ目的の匿名発言をコントロールする事はできないのです。
ekken♂:自覚のない荒らしにとって「黒木ルール」は全く非力です

ローカルルールを守るべきは自分であり、相手に押し付けるものでは無いのだという事だと思います。
posted by suVene at 11:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 議論系 このエントリーを含むはてなブックマーク 

2006年04月26日

目先の技術や言葉に囚われる悲しい人々

■人材不足?の背景
■ プログラマの種類とキャリア

常日頃考える事が書かれていました。

最近「優秀なエンジニアってどこにいるんですかねぇ」とよく聞かれる.本当に優秀なエンジニアは起業したり,大学に残って研究を続けたり,グーグルに就職したりするんだろうけれども,だいたい探してるのは「Ajaxなひと」とか「Web進化論に出てきそうなGeekたち」とか,ヲイヲイ優秀なエンジニアの基準がそれかよとゲンナリしてしまうのであるが,まぁそんなものかも知れない.
■人材不足?の背景
まぁ、そんなものなんですよね。
WEB化だー、CGIだー、Perlだー、Javaだー、Ajaxだー、Web2.0だーって流行った言葉や技術をひたすら追従する事で利益を生み出そうとする人があまりにも多いと感じます。とりあえず、キャッチコピーや営業向けだけでも「web2.0的サービスです!」といえば流行ってしまったり、注目を浴びるって事がより拍車をかけているのかもしれません。
形だけ入ったところで中身の伴わないサービスはすぐに廃れるし、結局次の技術やサービスが流行ればそちらに行くのです。
小学生のサッカーみたいに、玉を追いかけて満足しているような会社では従属して会社に貢献しようと言う人も育ちにくいでしょう。作ったものを維持・管理していく大切さやそこからさらによりよりサービスを作り出したりする事も大切だと思います。
技術の流行り廃りがこれほど早くなると,学歴とか資格よりも自己学習能力っていうか,需給ギャップの生まれそうなヤマを張って先回りするとか,そういうテクニックやフィーリングを磨き,軽いフットワークで活躍の舞台を自分から変えていく処世術が必要になる.
・・・ 中略 ・・・
では,流行りそうな技術にヤマを張って,教科書がなくても自分でガツガツ調べて試して勉強できるような技術者って,どうやったら育つんだろうか.
■人材不足?の背景
だからといって、ヤマ張ってひたすら詰め込む為の勉強をする人間育てようというのは違うんじゃないかな?って思います。
結局「当たればよろしい、外れれば残念」となってしまい、最初に「優秀なエンジニアの基準がそれかよ」と記されている概念に囚われているのではないかと。
まぁそれに対して、ハテナサービスという技術の最先端におられる naoya さんの意見ですが
自分は、世の中を先回りできるかどうかとか、そのとき必要と思われる技術を勢い付けて身につけられるかどうかとかいうのは、こういう自分を突き動かすモチベーションみたいなのを強く持てないと難しいと経験的に思っている節があります。そしてそういうモチベーションの創出能力みたいなのは、先天的な適正とかにかなり依存してる感がある。だから、もしそういうアンテナの高さとかで自分の価値を出していきたいなら、それが好きかどうかを自問してみること。自問してみて、自分はそこまで好きじゃないと思ったら、無理にそれは追求しない方がいい。どうやってもあの人やあの人、あなたの頭の中にある理想像には追いつけない。

そして、重要なのは、そういう人だけが技術の世界の頂点ではないということをちゃんと認識できるかどうかです。
■ プログラマの種類とキャリア
とまぁ、結局私が言ってる事は naoya さんがおっしゃってる事を自分の言葉にしただけに過ぎないんで、この記事に何の価値があるのやら?と思ったりしなくもないです。
naoya さんの日記はよく読んでいて、たまに頑固だなぁ と思ったりする訳ですが、やはり信念がある人が強いのではないかと思います。そして
プログラマは新しい技術に長けていることだけが価値じゃない。

大量に積もった細かいタスクを淡々とこなしていける並行処理能力をもったプログラマ。あるいは人が作ったものを丁寧に磨いていける能力を持ったプログラマ。そういう複数のカテゴリの人たちが一緒になって組織を作っていくのです。組織はお互いがお互いの仕事を尊敬しあってやっていないと、いずれ崩壊する。だから、僕はこの異なるタイプのエンジニアの能力というのをお互いがお互いに認識しあえるかどうかは非常に重要だと思っています。
■ プログラマの種類とキャリア
頑固な naoya さんですが、このあたりがすごいなぁと思う訳です。画一化された能力を重要と見る訳ではなく、いろんなタイプの人間がいてお互いに連携できるからこそ成り立っているのだという事ですかね。

テーゼ と アンチテーゼ は対立しあう概念ですが、結局絶対化された価値観、又は命題からどちらも逃れられない宿命があります。自分自身も含め、目先の技術や概念を絶対視してしまっていないか、今一度確認してみたいと思います。
posted by suVene at 17:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | Life系 このエントリーを含むはてなブックマーク 

匿名禁止すなわち履歴

ekken♂:自覚のない荒らしにとって「黒木ルール」は全く非力です
ekken♂:そもそも他人のブログのコメント欄では誰もが「匿名」かもしれない

という記事に対する意見です。
論点として

・ 議論における、ローカルルールの適応範囲について
・ ローカルルール中の「匿名」とは何かについて

を挙げるとともに、「履歴」も必要ではないのか。という事です。


◇suVene の議論する時の立場

個人的立場を先に説明します。

まず、大前提として「色々な人の意見を聞いてみたい。できれば理解したい。」というものがあります。
これが第一の目的です。
よって「相手を従わせたい」訳ではなく、ましてや「勝敗を競いたい」訳でもありません。
理想としては「私はこう思うのですが、あなたはどうですか?」や、「あなたが言っている、○○の意味がわかりません。私はこう思います」と言えればいいのですが、自分の意見を言う前に相手に質問してしまう事も多々あります。纏めますと、

・ 相手の意見の中で、理解できないところを質問したい。
・ 色々な意見を聞いて、できる事なら自分の考えを纏めたい。
・ 馴れ合いと呼ばれる空気にはしたくない。(議論において)
・ ネット上での議論は、実名に結びつかなくてもよい。
・ 理由を聞こうと思っても、感情に訴え闇雲に喚く人物は放置。
・ おまけとして、賛同・理解してくれる人がいると嬉しい。

他にも色々あるかもしれませんが、とりあえずはこんなところです。
では本題に入りましょう。


◇匿名性について
僕自身は、数年前に匿名で議論を進めるメリットに疑問を感じ、検索サイトで調べているうちに行き着きました。正しくは「匿名」による批判の禁止ルールというのですが、anotherさんが語呂が良かろうということで命名したようです。

黒木ルールについて要点を抜き出すと、こんなところ。

WEB上の議論に参加し誰かを批判するものは、「匿名」であってはならない
ここでの「匿名」とは実名か否かではなく、的を外した発言があった際に「恥をかく」ことができるか否か
ハンドルでも充分に自分の趣味嗜好を明らかにしたWEBスペースをもっている場合は「匿名」ではない
実名でも、それがどこの誰だか分からないような名前では、「匿名」
中身のないWEBサイトを公開しても、やはり「匿名」
E-mailアドレスの公開だけでは「充分に趣味嗜好を明らかにした」とは言えないので「匿名」
作家のペンネーム、芸能人の芸名は、失言時に「充分に恥をかく」事になるので「匿名」ではない
「匿名」であっても穏当な発言は認められる
「匿名」であっても、サイト管理者に有益な情報は認められる
(以上、黒木玄さんのWEBサイトより。転載ではないのですが、読み取れる事を箇条書きにしました)
ekken♂:自覚のない荒らしにとって「黒木ルール」は全く非力です
要するに、「匿名」とは「実名と必ずしも結びつく必要はない」という事であり、「充分に趣味嗜好を明らかに」するという条件を満たしていればよろしい。という事でしょう。
では、「充分に趣味嗜好を明らかに」するという事は何が必要であるという事でしょうか。私はすなわち

実在する人かどうかの証明よりも、詐称されない(にくい)システム上で、その人の履歴が追える状態があれば信用する為の情報となりうるって事。

というものが重要であると思います。「趣味嗜好」を知るためには「過去にどのような発言をしてきたか」という事が重要であり、その過去の履歴を追う為の鍵としての名前やニックネームや ID があればよろしいという事だと思います。よって、その鍵となるものは重要なので、システム的に詐称されにくい状態でなければなりません。
方法は幾つかありますが、例えば

・ コミュニティに属しているのならば、ログインしなければコメントできないシステム
これは、mixi や Hatena のようなものが近いですね。(Hatena はログインしなくてもコメントできるが、そういう意味じゃないです)

・ グローバル認証システム
これは、Fickr や OpenID のようなグローバル認証システムを利用した一意性の確保です。Hatena も最近、認証 API を公開したので、利用できるサイトが増えるかもしれませんが、まだまだ一般的ではありません。

これら二つのシステムは、確かに一意性の確保という意味では有効なのですが、blog は無数に存在しますのでサービス間の意見の交流が深めにくくなります。だからこそ
趣味嗜好を十分に書き綴った自分のサイトのURLを書き込むことで、ウェブ上の「匿名」ではない、という黒木ルールですが、これってよく考えたら多くのブログサービスにおいては、書き込まれたURL=虚偽の情報ではない、という建前があるから成り立つんですよね。
・・・ 中略 ・・・
このことを考えると、ブログという双方向性の高いツールを利用する場合、ネガティブなコメントは相手のブログのコメント欄で行うのは避けて、確実に本人が書いている事が確認できるよう、自分のブログ上からトラックバックにて言及を行うのが望ましいのだろうなぁ。
ekken♂:そもそも他人のブログのコメント欄では誰もが「匿名」かもしれない
と、言う事になるのです。
これは現時点で blog によるコミュニケーションで取れる手段としては、かなり有効だと思います。


◇まとめ

だらだらと読みにくい文章になってしまいましたが、「匿名ではない」イコール「実名と結びつける」必要性は何処にもなく(ekken さんもそんな事は言ってませんが)、その ID により過去の履歴を辿れる事をシステムにより保証する事が大切な訳です。
ここまで書いておきながら「黒木ルール」も「津村ルール」も一次資料を見たこともないのですが、やはり「ネット上の匿名」を許さないのが「津村ルール」であるならば、あまり同意したいルールではないという事も付け加えておきます。

・ 議論における、ローカルルールの適応範囲について

についても書こうと思っていたのですが、少々間延びしてしまったので一旦終了とさせていただきます。

posted by suVene at 14:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 議論系 このエントリーを含むはてなブックマーク 

2006年04月25日

この blog の存在意義について

自分は suVeneのあれという blog を持っています。
そちらの blog では主に、自分の思考や興味や発見や技術的文章を記事にしています。

では何故こちらの blog が必要になるのか?

という、存在意義が問われる訳ですが、blog の利用価値として他者との意見の交流があると思っています。あちらでカテゴリーを分類し、気になる記事などの言及記事を書こうと思ったのですが、発表の場に近い形での運営をしている blog で交流記事を書くと、論点がぼやけどちらも中途半端な形になってしまいかねないと判断したからです。
(同意、批判は歓迎ですが、それに対応する記事を書きにくいという事)

カテゴリー別に RSS 配信ができたりすれば、議論や交流する為のカテゴリーを作成すれば解決する問題だと思うのですが、現状の blog はやはりテーマをある程度絞らざるをえません。

という訳で、こちらの blog は他者との交流をメインにおき、文体も失礼にならない程度に書くことになると思います。別に、文体はどちらでもよいと思いますし、この blog も続けていくうちに文体が変わる可能性は大いにあります。

自分でもこの blog を続けていくかどうかはわかりませんが、そういうスタンスだという事です。
posted by suVene at 11:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | About このエントリーを含むはてなブックマーク