2006年04月27日

不測の事態に備えるという事

「もうこれで大丈夫」ではまだ不十分

不測の事態に備えるというのは仕事だけでなく物事を進める上でとても重要ですが、それに囚われて不安になってしまったり頭がいっぱいになってしまったりしては意味がありません。
テレビゲームやファッション衣料など、商品価格が短期に大きく変動する商品の仕入れは難しい。特に発売数ヶ月前に新製品の発注締め切りがある場合、予測より売れすぎると品切れ、売れないとデッドストックになる。仕入れ担当者に、どういう基準で仕入れるのかを尋ねると、ちょうどいい数をよんで発注するという。「えのさんのeの素」
良さげな回答だが、的をはずしている。

品揃えを優先するなら、多い目に発注し、残った場合の処分案を事前に検討する。
利益率を優先する場合、足りないめで発注し、品切れした場合の商品確保の方法を研究しておく。

ちょうどいい数とは方針がないことを語っている。

これを読んで思いついたのが「自分を詰問攻めにしてみる」という奇策。
一通りの準備を終えた時に、

 「もうこれで大丈夫だろうか?」

と自問するのではなく

 「よもや自分は『もうこれで大丈夫』などと思っていないだろうか?」

と詰問するのです。この詰問に対して、やすやすと「イエス」と答えられてしまうのであれば、準備不足でしょう。「ノー」であれば、「ノー」と答えるより先に「こーなった場合は、あーする」「あーなった場合は、こーする」のように、想定されうるあらゆるパターンに対する対策を考えることで頭がいっぱいになっているはずです。
「もうこれで大丈夫」ではまだ不十分
奇策と言うほど奇策でもなく、リスクをシミュレーションする事はスタンダードだとは思いますが、語尾を取り上げて批判したい訳ではなく“奇策”というほど忘れやすい。もしくは満足してしまいやすいという事でしょう。

ここで「あぁ、その通りだ」とこれを実践していつまでも「自分に詰問」するのはどうでしょうか。
訪れるリスクに対する対応で頭がいっぱいになっている人間を周りは安心して見ていられません。
「考え抜く」という言葉がありますが、「考え抜こう」と思ってもなかなか考え抜けないものです。なぜなら、具体的に何をどうしたら「考え抜いた」ことになるのかがよくわからないからです。

代わりに「頭の中を対策だらけにしよう」というゴールであれば、とりあえずやるべきことは対策を考えることになるわけで、迷わず身体を動かすことができそうです。
「もうこれで大丈夫」ではまだ不十分
「対策だらけ」であたかも有能そうに見えますが、同時にその対策を考慮する為のメリット・デメリットも考えなければなりません。

例えば先に引用しました対策を考えますと

品揃えを優先するなら、多い目に発注し、残った場合の処分案を事前に検討する。
利益率を優先する場合、足りないめで発注し、品切れした場合の商品確保の方法を研究しておく。

では、これで十分か?という問いに対して「ノー」と考える訳ですから他にも考えなければなりません。
「多めに発注したつもりが、まだ足りない場合に備えて商品確保の道を検討しておく。」「運搬中のトラックが事故を起こした時の為に緊急の商品仕入先を考慮しておく」「いざというときの為に販売店の在庫移動をスムーズに行う体制をとっておく」etc.

細かい事を言い出せばキリが無いですが、結局その場に応じて対応策を切り捨てたほうがよい場合もあるわけです。何処まで考えれば十分なのか?というのは、コストや影響を受けるであろうリスクや優先順位によって判断する訳であり、それを根拠とすべきでしょう。

> 「もうこれで大丈夫」と安心している自分を見つけたら、まだまだ準備の余地ありありです

準備の余地はあっても、コストに見合う準備なのか判断し、必要なければその準備はしなくてよいのです。
もちろん、考えるのは小コストでかなりのパターンを考えることができるので、やっておくに越した事はないですが、最悪「今準備や対策している事がだめになれば、それらをすべて破棄して、次の為の準備をする」事も必要になる場合もあります。


とまぁ、考えすぎはよくないという事を書いてきましたが
一つの「成功」に固執する為に考え抜くのはどうだろうか?
という疑問であり、その固執している「成功」があくまで「利益を生み出す事」に対する「手段」なのであれば、より長い目で「考えつづける事」は必要なのかもしれませんね。

posted by suVene at 16:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | Life系 このエントリーを含むはてなブックマーク 
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