2006年05月10日

空気に支配される者の代表

FPN-はてなブックマークで売られたケンカは買うべきか?
ekken♂:はてなブックマークに反論が出来ないなんて誰が言ったんだ?

ネットストーカーではないといいながら、ekkenさんの記事に関連する話になってしまうのですが、巡回先に数多く ekkenさんの引用があり、気になる記事もその中にあるのだからしょうがないのです。
決してネットストーカーでも、好き好き大好きビームでもありません。

前置きはおいといて、本当に ekken♂:はてなブックマークに反論が出来ないなんて誰が言ったんだ? を読んだの?と聞きたくなるような記事がありました。まず、
「はてなブックマークに、自分の記事に対してネガティブなコメントがされていた場合の反論・反証の具体的方法論。そして、その方法で反論・反証した場合に相手がそれを読む事を保障できないという問題点は、コメント欄やトラックバックと変わらない。」
という趣旨の記事がekkenさんの記事だと思うのですが、この記事へのトラックバックとしてFPN-はてなブックマークで売られたケンカは買うべきか?がある訳です。中身を私なりに要約しますと
  • 「確かに、はてブは荒れやすい。私は、はてブ恐怖症になったことがある
  • だって、1時間も書けた文章を一言で「中身が無い」とか「面白くない」と言われたらショックでしょ?
  • しかし、そういうのは気にしないようにしよう
  • というわけで、前向きに見ることにする。
  • その際、一人一人の意見ではなく、全体の空気として捉えよう。
  • でもやっぱり凹むので、お手柔らかに。
です。
特に言及もしていないし、反証・反論もなく、ただ関連リンクで考えた私的事項を書いているだけだと思うんですが、私はそんなに「トラックバック」の文化圏に対して厳しい意見を持っていないので、それは置いときます。
(「ブログからトラックバックとかで突っ込まれれば、またトラックバックで反論したりとか、そのブログのコメント欄に出かけていったりとか、議論のしようがあるわけですが、はてなブックマークだと一方的に言われっぱなし。」ってところが、ekkenさんの記事に対しての反論なのかな?)

しかし、その意見表明時に気になる部分が多々あります。それは、自分の意見を一般化して宣伝したり、他人の意見を一般化したりして捉えたりするところです。
なにしろ、一応1時間とか時間かけて書いた記事を、あっさり「中身が無い」とか「面白くない」とかバッサリきられたら、そりゃショックですしケンカ売られているような気分にもなりますよね。
・・・ 中略 ・・・
 どうしても、私たちは個人個人から言葉で攻撃されると反論したくなってしまうわけですが、自分がフィードバックとして受け止めるべきは、一人一人の厳しいコメントとかではなくって、全体としての空気のようなものなのかもしれないなーと思ったりします。
・・・ 中略 ・・・
・たくさんコメントがあったら、全体の雰囲気を見る
・全体として厳しいコメントが多かったら、大いに反省する
・一人だけ厳しいコメントだったら、その人の他のブックマークを見る
FPN-はてなブックマークで売られたケンカは買うべきか?


この文章だけだと、単に同意を得たいが為の問いかけとも取れるのですが、「空気」や「全体の雰囲気」で捉えるという部分が、「一般化された意見が正しい」と捉えているのではないかと思うところです。
そもそも、「多数の意見が正しい」というのは、全体の雰囲気や空気に支配されず、個別的に自分の主義や主張を訴え、相手の意見を聞き、納得すれば意見を変えたり、矛盾があれば反証したりした結果としての多数(マジョリティ)ならば、その意見はその集団における「正しい」結論として処理されるものだと思います。その結論を得る段階で、少数(マイノリティ)だからといって、主義主張せず、中身を判断しないでマジョリティの意見に従うような集団であれば、それはまさに「空気に支配された」結果であり、議論の意味は薄れるのではないかと思うわけです。説得力や論理的に相手を納得させられるだけの意見があれば、昨日の少数派は明日の多数派になっているかもしれないのです。その意味で「多数の意見は正しい」と思います。

この方の意見は「多数なのだから正しいはず」という捉え方にとらわれ、多数派工作をしてしまう集団における一員のような発言に見えるのです。(現実として、そのような集団はたくさんありますけれども)

先ほどの引用を個別に疑問を記しますと
> あっさり「中身が無い」とか「面白くない」とかバッサリきられたら、そりゃショックですしケンカ売られているような気分にもなりますよね

ショックになりません。 ケンカを売られているのかどうかは内容を見て判断します。
(2006/05/11 追記“議論”に対して言われてもショックにならないけど、読み物やネタとして書いてたらショックっていうかちょっと悲しいかもw)

> どうしても、私たちは個人個人から言葉で攻撃されると反論したくなってしまうわけですが

「私たちは」ではなく、「私は」でしょう。少なくとも、私は攻撃されるから反論するわけではありません。個人の意見を一般化しようとする意見に見えます。

> 一人一人の厳しいコメントとかではなくって、全体としての空気のようなものなのかもしれないなーと思ったりします

これは、「一般化」とは違いますが、このような個別の意見を自分で判断して答えを求めず、「全体の空気」で決めてしまうから、メディアに対してのリテラシーがないだの、日本は民主性ではないだのと言われるのだと思います。朝日の言う「脱個別主義」です。

まぁ、この記事を書いている方が「個人の意見を判断せず、全体としての主張があれば、自分が納得していなくてもそちらの意見にする」のであれば、それは個人の自由ですし何を言うこともないのですが、少々「多数の意見が正しい」の意味を取り違えているのではないかと思い、私が個人的に思うことを書いてみました。


というか、これが 徳力メソッド か!
posted by suVene at 12:51 | Comment(2) | TrackBack(0) | 議論系 このエントリーを含むはてなブックマーク 
この記事へのコメント
そもそもぶくまのネガティブコメントは「ケンカを売っている」とは思えないんですよね。
相手とのコミュニケーションを求めていないコメントでしょうから。
Posted by えっけん at 2006年05月11日 19:26
私もはてブをはじめたときに感じたのは、双方向のやり取りをしにくい場所だと感じました。

はてブのコメントは、大衆食堂でテレビ見ながらつぶやくおっさんの独り言みたいなもんですね。
Posted by ス at 2006年05月11日 21:23
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