2006年11月12日

いじめに関する

最近いたるところで見かける「いじめ」の話だが、大抵個人レベルの対症療法に留まっている。

よく見かけるのは「逃げ道を提示してあげる」という話に終始する事が多いが、それは「いじめ」が進行形の話ならば有効な手段だという事であり、根本的な解決になっていない。

「いじめ」は必ず起こる。
原因を解明はできないが、帰納法的な予測として起こる確立が極めて高いといえる。

ならば、その前提で「いじめが起しにくい構造」または「起きても深刻なレベルになりにくい構造」を模索するべきである。

そうは言っても「教育」の場である学校での構造を改革するのは容易ではないだろうし、そもそも内的規範を改革する事は難しい。

そうすると何ができるのか?
という事になるが、規約と集団の結合の仕方をコントロールする方法が考えられる。
「閉塞的集団の中で力の均衡が偏ることにより発生するいじめ」を取り除くだけで、かなりの数の「いじめ」の深刻化は防げるだろう。

“平等”や、“思いやる精神”などという奇麗事ではいつまでたっても「いじめ」はなくならない。
競争させ、争わせ、評価対象とし、処罰対象とする。
そのような小集団を故意に作り出す事によって「いじめ」を減らせるのではないか。
ただ、その中で「フェアプレイ」の概念や、「自立心」を伝えきれるかどうかというのは、教育者の手腕によるところが大きい。
勿論、家庭での教育も大切だ。

ただ、ここで言う話は、自己をコントロールできない者に対する話であり、成人を過ぎてからは「故意的な集団」など誰も作ってくれないので、そのまま適応はできない。

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2006年11月10日

コミケなんだが

コミケってなんだ。

"コミ"ックマー"ケ"ット?

いや、それなら「コミマ」だよな。

大規模な何かが行われてるのは知っているが、中身を知らないと陰謀めいたものを感じる!


ごめん。ヒマやねん。
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2006年04月27日

オフ会に関する恐怖

飲みに行くのには吝かではないけれど

オフ会についての記事ですね。私も基本的にはオフ会が嫌いです。何故かと言うと、数年前、初めてあるチャットのオフ会に参加した時に集まってきた人々がなんと言うか「リュック背負ってそうな人達」だったんですね。
いや、別にリュック背負ってるのが悪い訳ではないですけど、個人的にはあまり合わない人種でした。そして困るのは、チャットではしゃべった事がなかったのに、その後チャットで会うと「これまで以上に親しくなったような感じ」で接してくるわけです。
気持ち悪いですねー。
僕は「オフ会」というのが大嫌いでですね。それはオフ会という言葉に対する嫌悪なのだろうけど、そこから醸し出される「集まった人はみんな友達!」みたいな強制フレンドリー感が限りなく嫌いだ。
飲みに行くのには吝かではないけれど

このオフ会であった雰囲気がそのまま次のチャットに持ち越されるのです。恐ろしいですねー。

という訳で、今でもたまにオフ会に行くわけですが、本当に信頼できそうな少人数のオフ会には参加しますが、馴れ合い的な雰囲気が出そうなオフ会は避けたい訳です。
いや、特に誘われたりしないんですけどね。

ビジネスや、何かの興味のある事についての意見交換が主流の会合とかならば別なんですけど。


追記
2006年04月27日 maname 誘って欲しいのかな?

ちょっと誇張した書き方になってしまい、含みを持たせたように見えちゃったのかもしれません。そういうつもりはあまりなかったです。

2006年04月27日 Zothique 本当に嫌いならば絶対に行かないと思うのだが、違うのかな

一番最初に行った時は、嫌いじゃなくて色々期待してたんですけど、期待が大きすぎたという事ですね。「本当に信頼できそうな少人数のオフ会」は好きです。この文章では「オフ会が全て嫌いだ」という意味に見えてしまいますね。
posted by suVene at 22:24 | Comment(2) | TrackBack(1) | Life系 このエントリーを含むはてなブックマーク 

苦労すれば報われる?

「苦労すれば報われる」って言葉があります。

この考え自体は「不屈の精神」という意味で、自分が目的に向かって頑張る時の合言葉として言い聞かせているのであれば良いのではないかと思いますが、大抵これを言う人って相手に強要しようとする精神論者だったりする訳であります。もし上司がこれだと恐ろしいです。逆にいえば「報われなかった人は苦労してないのか?」って事です。

”精神論リーダー”の虚構

ここの記事は面白かったです。
タイトルとして、「自分を客観的に見られない人ほど好む」「変化と結果を求められず、社員を大事にできないリーダー」「他人に押しつける精神論はない」とありまして、まさにそんな上司の態度について言及しています。ただ「宗教のように、自分の精神論に合わない現実を無視してしまうからです」と、カルトに認定されるような宗教を宗教の全てだと断定するかのような発言は気になりますが、それはそれってことで。

最近 mixi で出会った人に教わった言葉として「効用価値説 」なるものと「労働価値説」なるものがあります。意味は読んで時の如しです。そして、働けば働いた時間(努力した時間とコスト)により価値を見出す労働価値説主義が、精神論者になりやすいのではないかと思います。

「努力には自虐が不可欠」というような信念を持っている人もいて、そこから来るすれちがいもあると思う。
言葉の使用法の問題にもなるけど、「自虐を含まない努力は努力と呼ばない」みたいな感じ。だから、見えててもそれを「努力」と呼ぶのを拒否する人がいるみたい。

「もっと努力しろ」とか言われた時に、その言葉の中の自虐成分が何パーセントくらいかを判別できると、もっとスムーズにコミュニケーションができる(そして、価値観の断絶が露になる)のではないだろうか。
■ 努力の中の自虐成分
中には自分と同じだけ苦労(目的を達するためにかけた時間や労力)を相手に強いる人間もいるわけで、楽して(るように見える)人は努力とは認めないという。この価値観の違いを認識したとしても、コミュニケーションを図るのは難しそうです。(外見上合わせるのは簡単かもしれませんけど)
posted by suVene at 18:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | Life系 このエントリーを含むはてなブックマーク 

不測の事態に備えるという事

「もうこれで大丈夫」ではまだ不十分

不測の事態に備えるというのは仕事だけでなく物事を進める上でとても重要ですが、それに囚われて不安になってしまったり頭がいっぱいになってしまったりしては意味がありません。
テレビゲームやファッション衣料など、商品価格が短期に大きく変動する商品の仕入れは難しい。特に発売数ヶ月前に新製品の発注締め切りがある場合、予測より売れすぎると品切れ、売れないとデッドストックになる。仕入れ担当者に、どういう基準で仕入れるのかを尋ねると、ちょうどいい数をよんで発注するという。「えのさんのeの素」
良さげな回答だが、的をはずしている。

品揃えを優先するなら、多い目に発注し、残った場合の処分案を事前に検討する。
利益率を優先する場合、足りないめで発注し、品切れした場合の商品確保の方法を研究しておく。

ちょうどいい数とは方針がないことを語っている。

これを読んで思いついたのが「自分を詰問攻めにしてみる」という奇策。
一通りの準備を終えた時に、

 「もうこれで大丈夫だろうか?」

と自問するのではなく

 「よもや自分は『もうこれで大丈夫』などと思っていないだろうか?」

と詰問するのです。この詰問に対して、やすやすと「イエス」と答えられてしまうのであれば、準備不足でしょう。「ノー」であれば、「ノー」と答えるより先に「こーなった場合は、あーする」「あーなった場合は、こーする」のように、想定されうるあらゆるパターンに対する対策を考えることで頭がいっぱいになっているはずです。
「もうこれで大丈夫」ではまだ不十分
奇策と言うほど奇策でもなく、リスクをシミュレーションする事はスタンダードだとは思いますが、語尾を取り上げて批判したい訳ではなく“奇策”というほど忘れやすい。もしくは満足してしまいやすいという事でしょう。

ここで「あぁ、その通りだ」とこれを実践していつまでも「自分に詰問」するのはどうでしょうか。
訪れるリスクに対する対応で頭がいっぱいになっている人間を周りは安心して見ていられません。
「考え抜く」という言葉がありますが、「考え抜こう」と思ってもなかなか考え抜けないものです。なぜなら、具体的に何をどうしたら「考え抜いた」ことになるのかがよくわからないからです。

代わりに「頭の中を対策だらけにしよう」というゴールであれば、とりあえずやるべきことは対策を考えることになるわけで、迷わず身体を動かすことができそうです。
「もうこれで大丈夫」ではまだ不十分
「対策だらけ」であたかも有能そうに見えますが、同時にその対策を考慮する為のメリット・デメリットも考えなければなりません。

例えば先に引用しました対策を考えますと

品揃えを優先するなら、多い目に発注し、残った場合の処分案を事前に検討する。
利益率を優先する場合、足りないめで発注し、品切れした場合の商品確保の方法を研究しておく。

では、これで十分か?という問いに対して「ノー」と考える訳ですから他にも考えなければなりません。
「多めに発注したつもりが、まだ足りない場合に備えて商品確保の道を検討しておく。」「運搬中のトラックが事故を起こした時の為に緊急の商品仕入先を考慮しておく」「いざというときの為に販売店の在庫移動をスムーズに行う体制をとっておく」etc.

細かい事を言い出せばキリが無いですが、結局その場に応じて対応策を切り捨てたほうがよい場合もあるわけです。何処まで考えれば十分なのか?というのは、コストや影響を受けるであろうリスクや優先順位によって判断する訳であり、それを根拠とすべきでしょう。

> 「もうこれで大丈夫」と安心している自分を見つけたら、まだまだ準備の余地ありありです

準備の余地はあっても、コストに見合う準備なのか判断し、必要なければその準備はしなくてよいのです。
もちろん、考えるのは小コストでかなりのパターンを考えることができるので、やっておくに越した事はないですが、最悪「今準備や対策している事がだめになれば、それらをすべて破棄して、次の為の準備をする」事も必要になる場合もあります。


とまぁ、考えすぎはよくないという事を書いてきましたが
一つの「成功」に固執する為に考え抜くのはどうだろうか?
という疑問であり、その固執している「成功」があくまで「利益を生み出す事」に対する「手段」なのであれば、より長い目で「考えつづける事」は必要なのかもしれませんね。

posted by suVene at 16:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | Life系 このエントリーを含むはてなブックマーク 

2006年04月26日

目先の技術や言葉に囚われる悲しい人々

■人材不足?の背景
■ プログラマの種類とキャリア

常日頃考える事が書かれていました。

最近「優秀なエンジニアってどこにいるんですかねぇ」とよく聞かれる.本当に優秀なエンジニアは起業したり,大学に残って研究を続けたり,グーグルに就職したりするんだろうけれども,だいたい探してるのは「Ajaxなひと」とか「Web進化論に出てきそうなGeekたち」とか,ヲイヲイ優秀なエンジニアの基準がそれかよとゲンナリしてしまうのであるが,まぁそんなものかも知れない.
■人材不足?の背景
まぁ、そんなものなんですよね。
WEB化だー、CGIだー、Perlだー、Javaだー、Ajaxだー、Web2.0だーって流行った言葉や技術をひたすら追従する事で利益を生み出そうとする人があまりにも多いと感じます。とりあえず、キャッチコピーや営業向けだけでも「web2.0的サービスです!」といえば流行ってしまったり、注目を浴びるって事がより拍車をかけているのかもしれません。
形だけ入ったところで中身の伴わないサービスはすぐに廃れるし、結局次の技術やサービスが流行ればそちらに行くのです。
小学生のサッカーみたいに、玉を追いかけて満足しているような会社では従属して会社に貢献しようと言う人も育ちにくいでしょう。作ったものを維持・管理していく大切さやそこからさらによりよりサービスを作り出したりする事も大切だと思います。
技術の流行り廃りがこれほど早くなると,学歴とか資格よりも自己学習能力っていうか,需給ギャップの生まれそうなヤマを張って先回りするとか,そういうテクニックやフィーリングを磨き,軽いフットワークで活躍の舞台を自分から変えていく処世術が必要になる.
・・・ 中略 ・・・
では,流行りそうな技術にヤマを張って,教科書がなくても自分でガツガツ調べて試して勉強できるような技術者って,どうやったら育つんだろうか.
■人材不足?の背景
だからといって、ヤマ張ってひたすら詰め込む為の勉強をする人間育てようというのは違うんじゃないかな?って思います。
結局「当たればよろしい、外れれば残念」となってしまい、最初に「優秀なエンジニアの基準がそれかよ」と記されている概念に囚われているのではないかと。
まぁそれに対して、ハテナサービスという技術の最先端におられる naoya さんの意見ですが
自分は、世の中を先回りできるかどうかとか、そのとき必要と思われる技術を勢い付けて身につけられるかどうかとかいうのは、こういう自分を突き動かすモチベーションみたいなのを強く持てないと難しいと経験的に思っている節があります。そしてそういうモチベーションの創出能力みたいなのは、先天的な適正とかにかなり依存してる感がある。だから、もしそういうアンテナの高さとかで自分の価値を出していきたいなら、それが好きかどうかを自問してみること。自問してみて、自分はそこまで好きじゃないと思ったら、無理にそれは追求しない方がいい。どうやってもあの人やあの人、あなたの頭の中にある理想像には追いつけない。

そして、重要なのは、そういう人だけが技術の世界の頂点ではないということをちゃんと認識できるかどうかです。
■ プログラマの種類とキャリア
とまぁ、結局私が言ってる事は naoya さんがおっしゃってる事を自分の言葉にしただけに過ぎないんで、この記事に何の価値があるのやら?と思ったりしなくもないです。
naoya さんの日記はよく読んでいて、たまに頑固だなぁ と思ったりする訳ですが、やはり信念がある人が強いのではないかと思います。そして
プログラマは新しい技術に長けていることだけが価値じゃない。

大量に積もった細かいタスクを淡々とこなしていける並行処理能力をもったプログラマ。あるいは人が作ったものを丁寧に磨いていける能力を持ったプログラマ。そういう複数のカテゴリの人たちが一緒になって組織を作っていくのです。組織はお互いがお互いの仕事を尊敬しあってやっていないと、いずれ崩壊する。だから、僕はこの異なるタイプのエンジニアの能力というのをお互いがお互いに認識しあえるかどうかは非常に重要だと思っています。
■ プログラマの種類とキャリア
頑固な naoya さんですが、このあたりがすごいなぁと思う訳です。画一化された能力を重要と見る訳ではなく、いろんなタイプの人間がいてお互いに連携できるからこそ成り立っているのだという事ですかね。

テーゼ と アンチテーゼ は対立しあう概念ですが、結局絶対化された価値観、又は命題からどちらも逃れられない宿命があります。自分自身も含め、目先の技術や概念を絶対視してしまっていないか、今一度確認してみたいと思います。
posted by suVene at 17:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | Life系 このエントリーを含むはてなブックマーク